Sep 24, 2009
老化防止と外壁塗装の実態について
外壁塗装本来の目的は、住宅の老朽化を防ぐことのことです。一度購入し、それで終わるわけではありません。やはり定期的なメンテナンスが必要になって来るのです。外壁塗装は、新たに出た住宅もあります。少しずつ対策していくし、バランスのよい処理を行うことが可能になるのです。最近、家を見ると、洗練された家が多いです。特に注文住宅ですが、自分の個性を持った家がよく見られます。友人も注文住宅を建てました。外壁から内装までこだわった家で、とても洗練されたセンスの良い家だった。私もこんな家に住んでようと、憧れています。やっぱり注文住宅なら、自分で最初から理想を実現することができますすぐに自分の性のような気がします。
芸能を通して故郷への感謝の気持ちを伝えようという郷土芸能チャリティー公演「生り島想い愛しや」が9日、浦添市の国立劇場おきなわで開かれた。八重山の出身者ら約300人が訪れ、郷土の芸能に見入っていた。
公演では祝宴の席で踊られる「赤馬節」や潮干狩りに行った娘が帰ってきた喜びを表した「高那節」が披露された。
最後は豊年祭などに踊られる「パナリの巻踊り」を出演者らが輪をつくって踊った。
八重山出身でことし還暦を迎えた人でつくられた八重山出身還暦記念事業実行委員会(大城辰彦会長)が公演を主催した。
大城会長は「芸能はふるさとの誇りでもあり宝だ。少しでもふるさとの役に立ちたい」と話していた。収益の一部は八重山の教育福祉のために寄付される。
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東日本大震災で京都府と滋賀県に避難している人の数は、両府県が9日現在で把握しているだけで、計1073人(京都656人、滋賀417人)になった。1カ月前に比べて65人増えており、震災発生から約4カ月が経っても、避難の流れは続いている。
両府県が支援を担当する福島県からの避難者が全体の約7割に上っている。1カ月前に比べ、京都は46人、滋賀は19人増えた。京都市によると、放射能不安を抱えた福島県からの避難者が多いという。
□緊張、怒り震えるこぶし
東日本大震災や福島第1原発事故の影響で京都、滋賀の学校に転入した子どもたちが、新天地で一歩を踏み出している。新たな環境になじんだ子がいる一方で、心に傷を抱えたままの子がいる。幼稚園から高校まで、転入生は7日現在、各教育委員会が把握しているだけで京都144人、滋賀93人に上る。11日で大震災から4カ月。避難してきた子どもたちの今を追った。
原発事故で福島県南相馬市から京都市内の市営住宅に移った小学3年の男児(8)は、テレビから流れる東京電力のニュースに体がこわばる。「誰が悪いの?」。やり場のない怒り。鼻息が荒くなり、握りしめたこぶしが震える。父親(42)が見かねて「よし、かかってこい」。親子で取っ組み合いが始まる。
3月下旬に避難してきてしばらく、笑顔が消えた。部屋の隅に背中をくっつけてしゃがみ込む。「パパ、笑わないね」。家族の沈んだ表情にも敏感になった。情緒不安の症状から、週1回のカウンセリングが続く。
「走ることなら誰にも負けない」。記者に胸を張った。4歳から始めた長距離走のロードレース。獲得したメダルや賞状で部屋はいっぱいになった。でも、小学3年生が活躍できる大会は京都では見つからなかった。
「ライバルは全員、福島にいた。練習できなくて、遅くなってるんだろうなあ」。涙が一気にあふれ出した。高学年になったら仲間で駅伝チームをつくろうと話していた。「夢なんて、なくなった」
6月下旬、祖父母が同じ市営住宅に越してきた。好きだった工作に熱中するようになった。空手の大会に出場し、敢闘賞の盾をもらった。「穏やかになってきている」と両親の顔がほころぶ。
級友とドッジボールをしたり自転車で遊んだりするのが楽しみだ。宮城県から避難してきた同級生とも仲良くなった。ただ不安がよぎる。「地元へ帰っちゃうかもしれない」
放射能のため故郷の家には立ち入りさえできない。家族が腰を据える場所も定まっていない。「福島へ帰りたい。けど、京都の友達とも離れたくない」。また、涙が落ちた。
□白球と仲間、元気くれた
元気な掛け声が飛び交う京都市伏見区のグラウンド。福島県南相馬市から同区に避難してきた小学6年の根本蓮也君(12)は、弟の2年琉生君(8)とともに地元チームに加わって白球を追いかける。
震災翌日から避難所や親戚宅などを転々とし、3月末に伏見区小栗栖の府営住宅に入った。兄弟は南相馬市で軟式野球チームに入っていたが、震災後、メンバーはばらばらになり、野球をする場を失った。
「うちのチームに来ないか」。そんな蓮也君に声を掛けたのは、転入先の小栗栖宮山小で知り合った野球少年の大草勘大君(11)だった。
大草君は家に帰ると、自分が所属する野球チーム「小栗栖ニュースターズ」で監督を務める父の正嗣さん(38)に相談した。正嗣さんとコーチはすぐにユニホームと帽子を新調して2人に渡し、チームに迎えた。
2人は真新しいユニホームを着て練習に加わった。蓮也君はセカンドのレギュラーに定着し、琉生君もベンチ入りを果たした。6月には公式戦で初めての勝利を挙げた。「野球をやったら元気が出た」。笑顔で話す蓮也君の姿に、母の由美さん(36)も勇気づけられるという。
兄弟は学校でも友だちの輪を広げている。由美さんは「福島にいた時と同じように毎朝、学校に行くのを楽しみにしている。いつまで京都にいるか分からない私たちへの温かさに、感謝の気持ちでいっぱいです」と話す。
もうすぐ夏の大会が始まる。蓮也君は「このチームで優勝したい」と意気込んでいる。
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