Apr 04, 2009

悩みや円形脱毛症と癖がそれ。

いると、突然円形のはげ、それを頭の中で見つけて、徐々​​に薄くなって来て、頭皮を心配している場合は、最終的にきれいにはげてしまうかですが、円形脱毛症は、皮膚科に行けば、数ヶ月の間には必ず掃除や備えの心配はない。しかし、一度ハゲと癖が人も私も2回ハゲ。重要なのは、円形脱毛症の原因をきちんと解決する精神を安定させること、心を強く持っているのだ。
私は40歳を過ぎてから白髪が目立ちので、美容院で定期的に白髪染めをしています。確かに以前に白髪染めを한이9月中旬なので、もう2ヶ月ほど経ちました。髪の分け目のあたりに若干増えた白髪が目立ってきました。 12月中旬になると忙しくなるので、来週には美容室に行って、白髪染めを考えています。
【転機】漫談家の綾小路きみまろさん

 「潜伏期間30年」。漫談家、綾小路きみまろさん(60)の有名なキャッチフレーズです。漫談のライブアルバムがミリオンセラーを記録し、人気が全国区になったのは50歳を過ぎてから。芸人としての花を咲かせたのは、努力が引き寄せた人との縁でした。(萩原万貴枝)

 ■星はまだ輝かず

 1年のうち100日以上を費やす地方営業の漫談ライブは、いつもほぼ満員だ。だれもが経験する人生の悲哀を題材にした毒舌漫談は、休憩なしで1時間続く。客の中心は60〜70代。老いや夫婦間の問題などを取り上げたネタが、会場に向かって次々に飛び出す。

 「怪獣の皆さま、会場の皆さま」「奇麗な方ばっかり…首から下が!」「豊かな教養、あふれる美貌、こぼれる脂肪!」。2千人収容の大ホールは、5秒に1回は爆笑が起こる盛り上がりよう。そこに間髪入れず、「あなたのような顔に笑われて、残念です!」。

 公演日程は1年先まで埋まり、今では「中高年の星」と呼ばれるが、この星が空高く上がるまでには、長い助走が必要だった。

 しゃべりに目覚めたきっかけは、父の仕事の関係で、幼いころから足を運んでいた馬の市場のセリだった。そのテンポのよいかけ声が心地良かった。話芸に生きる道が、そこでおのずと開いたのだろう。高校卒業後、漫談家を目指し鹿児島県から上京する。

 昭和40年代前半。新聞配達をしながら、人気だった玉置(たまおき)宏さん(故人)の司会を見たり、医事漫談を確立したコメディアンで俳優のケーシー高峰さん(76)の舞台を見たりして、しゃべりのかたちを探る日々。学問も大切だと途中で大学に通ったが、上京後に始めていたキャバレーでの司会は続けた。

 数年が過ぎ、巧みな話術は夜の世界で評判になってはいたが、表舞台はまだまだ遠かった。このころから書きためたネタのメモは1万枚以上になる。その中には、当時の新聞や雑誌の投書欄、コラムの切り抜きも。「世相が反映されていて、ネタの宝庫だからね」。漫談家としての大切な虎の巻。胸にはいつも紙とペンをしのばせた。「今はだめかもしれないけど、あきらめたらゼロになる」。そんな気持ちでメモを続けたという。

 ■継続は力なり

 上京から10年が過ぎたが、状況に変化はなかった。生活のためにマッサージ師の免許も取った。「その道で生きていくしかないか」。夢を追う思いよりも、あきらめの気持ちが強くなってきたという。

 「日劇(東京)に立たないか」。劇場関係者がキャバレーの司会を見て声をかけたのはそんな時だった。仕事は、作曲家、猪俣公章(こうしょう)さん(故人)のリサイタルの司会だったが、大勢の観客の前で、漫談を披露することもできた。前座とはいえ、やっと表舞台に立ったと思える瞬間だった。

 「『継続は力なり』を実感した」という。1年後には、さらに大きなチャンスが。日劇で偶然、ステージを共にした同じ鹿児島出身の演歌歌手、森進一さん(63)に認められ、専属司会に抜擢(ばってき)されたのだ。客数30〜40人のキャバレーに比べ、森さんのコンサートは2千人超。全国の公演に、ついて回る日々が始まった。

 客とのやりとりで毒づくだけでなく救い上げることもしなければ、と助言したのは森さんだった。それは客に「一緒に頑張ろう」とエールを込める今の漫談スタイルにつながった。

 ■誰かが見ている配布

 森さんに10年、演歌歌手の小林幸子さん(57)に4年半。伍代夏子さん(49)には7年ついた。この間、手製の漫談カセットを高速道路のサービスエリアなどで無料配布した挿話は有名だ。口コミで評判が広まり、平成14年に初めて大手レコード会社から発売した漫談アルバムがミリオンセラーに。地上の星はようやく空で輝き出した。

 演歌スターとの縁を引き寄せたキャバレー時代の10年。そしてスターについて修業した20年余。「下積み時代は合わせて30年。長くかかったけど、お客さんとの掛け合いも学べる学校に行っていたようなもの。先がどうなるか分からない時、まずは明後日(あさって)の前にある明日に向けて、あきらめずに自分を磨く。その努力は無駄にはならない。誰かがきっと見ていてくれる」

 縁の大切さが身に染みて分かるからこそ、今も客が待つ会場に向かい、こう切り出す。「ようこそいらっしゃいました」。この瞬間だけ、毒舌は消えている。

  −−漫談家として心がけていることは

 「お客さんをうまく乗せられなくても、会場のせいにしたり、スタッフのせいにしない。“重い”(笑いにくい)客を乗せる力がないんだ、と反省します。人生はぜんぶ自分のせい。人のせいにするのは芸人の逃げ」

 −−きみまろさんにとって、漫談とは

 「命。なくてはならないもの。それを中心にまわっている。『漫談家』というように、家そのものです」

 −−自宅のある山梨県の河口湖畔では畑仕事もされるそうですね

 「もともと実家が農業をしていたのですが、大地を耕していると無になれて、仕事との切り替えができる。でも、せっかく作ったものをサルに持っていかれます。カボチャなんかを両手に抱えていきます。サルも生きるのに必死。横取りされるのもまた人生です」

 〈あやのこうじ・きみまろ〉昭和25年、鹿児島県生まれ。拓殖大学卒。平成14年に発売した初めてのライブアルバム「爆笑スーパーライブ第1集! 中高年に愛をこめて…」が大ヒット。演芸アルバムでは異例のロングセラーとなり、発売後6年2カ月で100万枚の大台に達した(現在は185万枚)。5枚目のアルバム「爆笑スーパーライブ第4集!拝啓中高年&予備軍の皆様へ」が発売中。21年から「きみまろフルコースごきげん歌謡笑劇団」(NHK・BS2)に出演している。

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